IA Book Guide 序文

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「カントもマルクスもフロイトも読んでいないで、何ができるというのか。」

この強烈な一言は、数々の知識人によって書かれた「必読書150」の冒頭にある、柄谷行人によるものである。

私はこれまで何度も「おすすめの本を教えてください」と言われて来た。確かに、インフォメーションアーキテクトには読まねばならない本がある。全インフォメーションアーキテクトが読むべき本がある。しかしどういうわけか、普通に毎日職業インフォメーションアーキテクトをやっているとなかなかその本に出会わないらしい。これはまずい。
僭越ながら、これからしばらく不定期で、インフォメーションアーキテクトが読むべき書籍を紹介していこうと思う。もちろん紹介するということは紹介する側の主観が多分に含まれることになる。そう感じる箇所が多々あったり、選書に不満があったりした場合も、その点はご理解いただきたい。

また、当たり前のことではあるが、これから紹介する幾つかの書籍を読んだところで、一人前のインフォメーションアーキテクトになれるかどうかはわからない。私がそこに責任を持つことなど到底できやしない。そもそも、私自身が一人前のインフォメーションアーキテクトかどうかすら怪しいものである。
ただ、私もこれまでそれなりにベンキョーをしてきたつもりだし、インフォメーションアーキテクトとしての最低限の教養は持っているつもりだ。しかし、紹介した書籍を読んで身につくのはあくまでも「教養」であり、実務で役に立つかどうかと問われれば、それはその人次第と言わざるを得ない。いや、きっと実務の役になど立たないだろう。そもそも教養は実務に役立てるためにあるものではない。教養というものは、実務とは別の次元で最低限身につけておかなければならないものであるはずだ。
だから、ここで紹介する書籍を読んだところで仕事ができるようになるわけではないし、出世できるわけでもない。ただ、情報社会を見つめる「視力」が上がることは間違いないと言えるのではないかと思う。そして、その「視力」こそが情報社会を担うインフォメーションアーキテクトに必要なものなのだ。
もちろんそれはただ本を読むだけで身につくわけではないが、本はそのための少しの栄養を提供してくれることだろう。

これからの世界のために、目の前の「画面」だけではなく目の前の「社会」と向き合うことのできる、責任を持った情報空間の建築家(=インフォメーションアーキテクト)が増えることを願うばかりである。

最後に、あえて柄谷行人の強烈な言い回しをお借りして(少し変えて)、序文を終わりにしたい。

「レッシグもウィーナーもマクルーハンも読んでいないで、何ができるというのか。」