IA Book Guide「マンガ エニグマに挑んだ天才数学者 チューリング」

マンガ エニグマに挑んだ天才数学者 チューリング

さて、チューリングである。まさかインフォメーションアーキテクトの中でチューリングを知らない人はいないだろう(ドキッとした人がいないことを願う)。

この本のあとがきの中にも書かれているが、世の中には「コンピュータと言えばフォン=ノイマン」、が溢れかえっている。どうしたものか。本当は「コンピュータと言えばアラン・チューリング」、なのだ。
チューリングはコンピュータの概念を初めて理論化した、20世紀を代表する天才的頭脳の持ち主である。コンピュータに関わる仕事をしているのであれば、この時点で、知らないとマズいということがわかるだろう。

しかしそんな偉大な人物チューリングの人生は不憫なものであった。
チューリングは第二次世界大戦時、その天才的頭脳で、解読不可能と言われたドイツ軍の暗号エニグマを解読した。もちろんそれはとんでもない功績なわけだが、この功績は軍事機密事項となり、彼の死後20年経ってようやく世間に知られることになる。
だからチューリングはその功績を評価されることがないまま、最後は同性愛の罪で犯罪者として扱われ、41才の若さで生涯を終える(当時同性愛は犯罪だった)。しかも、化学去勢を受けさせられ、苦しみもがいた末に毒りんごを齧っての自殺である(白雪姫が好きだったチューリングならではのことである)。

と、チューリングの人生はこんな具合である。少しは興味が湧いてきただろうか。

今回紹介しているこの書籍は、タイトルにもはっきりと「マンガ」と書かれているように「マンガ」である。ページ数も120ページ程度なので非常にとっつきやすく読みやすい。チューリングの生涯はそんなに簡単に語れるようなものではないのに、よくこんな短いマンガにまとめたものだと感心した。イタリアの若手漫画家による、インフォメーションアーキテクト顔負けのまさにアンダースタンダブルな仕事である。
グラフィック化は理解のデザインにおいて重要な手段の一つである。このようなマンガ(いや、これはもはやグラフィックノベルと言える)は、それを実践している良い例だろう。是非マンガというアンダースタンダブルなフォーマットでチューリングを味わっていただきたい。(余談ではあるが、マンガと言えばイースト・プレス社の「まんがで読破」シリーズも大変素晴らしい)

この本の訳を手掛けたサイエンスライターの竹内薫氏は、他の書籍でもアンダースタンダブルな仕事をしている。特に「シュレディンガーの哲学する猫」は、哲学の世界に足を踏み入れるためのうってつけの一冊である(マンガにもなっている!)。

もっとチューリングについて知りたいという人は、ジョージ・ダイソンの「チューリングの大聖堂」を読むといい。チューリングというよりもノイマンに焦点が当たっているが、コンピュータの宇宙を感じるには良い一冊だ。(ジョージ・ダイソンは、ジョン・ブロックマンによる編集の「2000年間で最大の発明は何か」の中でもチューリングマシンの名を挙げている)

また、「現代思想2012年11月臨時増刊号」のチューリング特集も是非読んでいただきたい。この中ではチューリングの論文の他に、西垣通氏やドミニク・チェン氏などが寄せた文章が書かれているが、その中でも特に円城塔氏による「姿を求めて」というエッセイには大変考えさせられた。

IA Book Guide 序文

「カントもマルクスもフロイトも読んでいないで、何ができるというのか。」

この強烈な一言は、数々の知識人によって書かれた「必読書150」の冒頭にある、柄谷行人によるものである。

私はこれまで何度も「おすすめの本を教えてください」と言われて来た。確かに、インフォメーションアーキテクトには読まねばならない本がある。全インフォメーションアーキテクトが読むべき本がある。しかしどういうわけか、普通に毎日職業インフォメーションアーキテクトをやっているとなかなかその本に出会わないらしい。これはまずい。
僭越ながら、これからしばらく不定期で、インフォメーションアーキテクトが読むべき書籍を紹介していこうと思う。もちろん紹介するということは紹介する側の主観が多分に含まれることになる。そう感じる箇所が多々あったり、選書に不満があったりした場合も、その点はご理解いただきたい。

また、当たり前のことではあるが、これから紹介する幾つかの書籍を読んだところで、一人前のインフォメーションアーキテクトになれるかどうかはわからない。私がそこに責任を持つことなど到底できやしない。そもそも、私自身が一人前のインフォメーションアーキテクトかどうかすら怪しいものである。
ただ、私もこれまでそれなりにベンキョーをしてきたつもりだし、インフォメーションアーキテクトとしての最低限の教養は持っているつもりだ。しかし、紹介した書籍を読んで身につくのはあくまでも「教養」であり、実務で役に立つかどうかと問われれば、それはその人次第と言わざるを得ない。いや、きっと実務の役になど立たないだろう。そもそも教養は実務に役立てるためにあるものではない。教養というものは、実務とは別の次元で最低限身につけておかなければならないものであるはずだ。
だから、ここで紹介する書籍を読んだところで仕事ができるようになるわけではないし、出世できるわけでもない。ただ、情報社会を見つめる「視力」が上がることは間違いないと言えるのではないかと思う。そして、その「視力」こそが情報社会を担うインフォメーションアーキテクトに必要なものなのだ。
もちろんそれはただ本を読むだけで身につくわけではないが、本はそのための少しの栄養を提供してくれることだろう。

これからの世界のために、目の前の「画面」だけではなく目の前の「社会」と向き合うことのできる、責任を持った情報空間の建築家(=インフォメーションアーキテクト)が増えることを願うばかりである。

最後に、あえて柄谷行人の強烈な言い回しをお借りして(少し変えて)、序文を終わりにしたい。

「レッシグもウィーナーもマクルーハンも読んでいないで、何ができるというのか。」