情報アーキテクト 渡邉英徳氏 インタビュー(聞き手: WIAD 山本 郁也)
「情報アーキテクト」という肩書きを名乗る理由
山本:
本日はよろしくお願いします。まずお伺いしたいのですが、渡邉さんが名乗っている「情報アーキテクト」という肩書きは、私たちの言うところの「インフォメーションアーキテクト」と、少し文脈や意味が違うように感じます。肩書きに込めている想いを聞かせていただけますか?
渡邉:
ぼくは元々建築学科出身なんです。そして、実世界ではなく、空想の世界に想像上の建築を建てるという建築家の活動にとても憧れていました。そのなかでも最も影響を受けたのは、レベウス・ウッズというアメリカの建築家です。
(レベウス・ウッズの作品を見ながら)
これは、紛争地域における建築をドローイングで提案した作品です。街が爆撃で破壊されているところに生命をそなえた建築が表れ、まるで「かさぶた」のように覆って再生させていく、というコンセプトです。こういう仕事のことを「アンビルト」と呼びます。つまり「建てない建築家」です。
これにぼくは強烈に影響を受けています。実際に建てることはできないが、実在している建築よりも、むしろ強いメッセージを放っている。実在し得えないにも関わらず、建築で世界を変えていきたいというメッセージをはらんでいる。こういう仕事がとてもしたかった。
その後、いろいろ模索していく中で出会ったのが、Google Earthというプラットフォームでした。仮想世界でありながら、ベースは実空間に置かれたバーチャルなフィールドです。実世界を模した仮想空間が用意されていて、そこにいろんなデータを集めたり、コンテンツを作って表現したりすることで、バーチャルな制作物の説得力が増してくるように感じました。
これは先ほどの建築の話にも繋がります。レベウス・ウッズの話はいい例ですね、何の制約もなしに自由に考えていいと言われると、一見楽そうですが、デザインの拠り所がない。ウッズの場合は、紛争地域など、歴史上いわくがある場所を選んでドローイングを描きます。だからこそ、社会にメッセージが届くわけです。バーチャルな空間で自由にデザインしたカッコいい建築物です、といったありようでは、自分たちが普段過ごしている社会と隔絶して見えてしまいますよね。
レベウス・ウッズたちは、ドローイングで建築的なメッセージを社会に発信しましたが、ぼくは情報空間、サイバーワールドで作品を作る建築家を自認しています。それで「情報アーキテクト」と名乗っています。
山本:
ヒロシマ・アーカイブなど、デジタルアーカイブと呼ばれる活動が多いですが、アーカイブを中心に活動している人は「アーキビスト」と名乗っている印象があります。「アーキビスト」ではなく、明確に「アーキテクト」を名乗っている理由はあるのでしょうか?
渡邉:
アーキビストは記録保存をする専門家です。ぼくはそのレイヤーにはいません。記録保存のフィールドにはたくさんの方がいるし、先達も無数にいらっしゃる。そういう人たちが集めてきた資料やデータ、あるいは自分たちでチームをオーガナイズして集めてきたデータを「もうひとつの地球」の上に作品として表現することが、ぼくの領分です。
散在する多元的なデータを束ねて一元化し、Google Earthの上に乗せる仕事を、たくさんの人と協働して進めています。この辺り、建築家の仕事と重なります。建築家は一人ではものがつくれない。設計図を描いてイメージと仕様を伝え、その後は工務店をはじめ、いろんな人たちを統率し、完成まで導かなければいけない。
もう一つ重要なのは、建築家は基本的に、誰かに依頼されて作品をつくります。自邸は別ですが、大抵の建築物は人に頼まれて作りますよね。完成したら依頼者に引き渡し、公共のものになります。ぼくの仕事もそれに近しい。ヒロシマ・アーカイブ、ナガサキ・アーカイブ、ツバル・ビジュアライゼーション・プロジェクトなど、まず依頼者がいて作り始め、出来上がったものはインターネット上でPublicなものになっている。それでいて、ぼく自身の作品として認識されています。
山本:
だから明確に「アーキテクト」なわけですね。先ほどのレベウス・ウッズの話もそうですが、渡邉さんの仕事のようにメッセージを伝えるということが目的になると、実空間の建築よりも寿命が長いのではないかと思いました。
渡邉:
そうかもしれないです。永続性がありますね。レベウス・ウッズのドローイングも、もう彼は亡くなってしまいましたが、これらの作品は人々に向けて、永遠にメッセージを発信し続けます。実空間の建築は、いつかはなくなります。もちろん、保存する活動などもありますが、物理的なものはいつかは消滅する。でも、作品が備えていたメッセージは語り継がれていく。バーチャルでも同じことがいえます。たとえプラットフォームとしてのGoogle Earthがなくなっても、ぼくたちがつくったアーカイブズ・シリーズが発するメッセージは、未来に残っていけるんじゃないかと。
情報で人の心を動かすということ、当事者意識を持つということ
山本:
先日公開されていたMITの石井さんとの対談記事を読んでいて思ったのですが、記事の中で石井さんが「100年経ったら僕たちはもう生きていられないわけだから、アーカイブ自体に自己組織的な記憶編集と伝搬のメカニズムを埋めこむ必要」とおっしゃっていました。あの記事ではサーバの費用の話に続いていましたが、これから何世紀と残すためには、サーバの費用はもちろん、石井さんの言う通り、作品そのものが有機体のような機能を持つ必要があるのではないでしょうか?
参考: CodeIQ MAGAZINE 石井裕×渡邉英徳 緊急対談
(前編)「3.11」の情報と体験をどう未来記憶化するか
(後編)「3.11」を未来記憶化するために必要なアーキテクチャとは
渡邉:
あの後に実はいろいろ話していて、現状では有志によるボランティアで成り立っているアーカイブズ・シリーズに対し、永続性が保持できないではないか、というご指摘がありました。石井先生からのご提案で、ファンドやクラウドファンディングでお金を集め、社会の枠組みとして記憶を継承していけないか、といった話題になりました。
ぼく自身は、もう少しコンセプチュアルなところに希望を抱いています。例えば、ぼくがレベウス・ウッズの作品に動かされてヒロシマ・アーカイブをつくったように、かたちを変えた継承が成されるかも知れない。つまり、ヒロシマ・アーカイブを見た人たちが、また新たな切り口で、コンセプトを受け継いだものを作ってくれるんじゃないかと期待しています。
ヒロシマ・アーカイブの制作に学生を巻き込んでいるのも、近い将来「ヒロシマ・アーカイブ2」じゃないけど、記憶を未来に伝えるというメッセージを受け継いだ若者が生まれ、新たな仕事をしてくれるんじゃないか…という目算があるからです。
ちょっとオプティミスティックかもしれないですが、ぼく自身が遠く離れた国で活動するレベウス・ウッズの作品を見て、その10年後くらいにヒロシマ・アーカイブを作っています。ウッズのように、紙にドローイングを描いたわけではないけれど、仮想世界に作品をつくるというかたちで継承した。なので、おそらくぼくたちの仕事も、誰かが何らかのかたちで受け継いでくれるはずです。
ヒロシマ・アーカイブ自体が永続性を持つというよりは、僕らのミッションを別の形で受け継ぐクリエイターが生まれてきてくれればいい、というのがぼくの考えかたです。
山本:
ものが残っていくというよりは、人の魂の繋がりが重要ということですね。
渡邉:
そうです。それに、ヒロシマ・アーカイブに載っているのはあくまで「データ」なので、プラットフォームが変わっても、新たに載せ替えれば済みます。むしろ活動のミッションそのものや、モチベーションをいかに継承するかが重要です。これまでの平和活動についても同じことが言えそうです。
山本:
作品を見てくれた人に何か感じて欲しいという気持ちはあると思いますが、どう伝えるか、どう伝わるかが重要だと思います。その点についてはいかがでしょうか?
渡邉:
そこについては、デザインの力が発揮できればと思っています。Google Mapにマーカーがただ並んでいて、クリックしたら証言が表示される、というだけではない雰囲気を備えたものを作っているつもりです。暗黙知といわれるものかも知れません。
建築になぞらえて言えば、例えば、文字のサインで解決してしまうのは、建築としてはイマイチです。光の状態などを含む「空間」そのもので人々の行動を促すのが理想。促すというのも違う、空間そのもので行動を「示唆できる」ということ。人々は、あくまでも自由に振る舞っているんだけれど、空間によってデザインされたアクティビティが、そこに立ちあらわれているといいですね。
山本:
例えばダークツーリズムのような、悲しみの継承というコンセプトにこだわっているというところはあるのでしょうか?
渡邉:
特にこだわっているわけではないです。たまたまそういう仕事が増えてしまっただけで。とはいえ、ぼくが小学生のころ、両親は広島平和記念資料館など、戦災の展示施設に連れて行ってくれていました。ぼくは大分出身ですから、広島原爆と直接関係しているわけではないんですが、そうした意味でのご縁を感じることがあります。ちなみに、妻は広島の人です。
東日本大震災アーカイブでは(東日本大震災アーカイブを見せながら)、このように顔写真が表示されるのは朝日新聞のインタビュー記事、つまり、いわゆる証言です。そして、仙台のあたりにズームしてみると、たくさん水色の円が浮かんでいます。これは震災当日のジオタグ付きツイートです。つまり、事後的に記憶を辿って誰かに話す証言と、その場の情動でツイートしたものが同居しています。このまま関東に向けてカメラを移動していくと、このように、ものすごい数のツイートがあるんです。この中の一つにぼくらのものがあるかもしれませんね。
現代はこのように、誰でも情報空間に足跡が残せる、あるいは残してしまう時代です。こうしたデジタルアーカイブを通して、この日には、すべての人々が東日本大震災の当事者であったということを示せます。地震や津波の直接の被災者とはいえなくても、誰もが、何らかの影響を被っている。
つまり「東北は被災して大変だ、支援しなきゃ」じゃなくて、我々全員が、ここにマッピングされている方々のような、直接の被害者になり得たんだ、ということなんです。ぼくたちは、広島や東北地方で顔写真がマッピングされている場所、まさにここに居てもおかしくなかった。そしていつかは、当事者になるかも知れない。これは、ダークツーリズムとも重なる話かと思います。
山本:
最近の日本では、危機感を持って生活をしている人が少ないのではないかと感じることが多いです。そこで、ヒロシマ・アーカイブやダークツーリズムのような存在が重要だと思うのですが、当事者意識を持つためには、これを見てからさらにもう1ステップ必要になるかと思います。そこについてはどうするのが良いと思われますか?
渡邉:
今年の夏、広島の高校生たちと、ヒロシマ・アーカイブに資料をマッピングするワークショップを開催します。2011年の発表からこれまで、4年間コラボしてきていますが、やはり、顔を合わせて説いていくのがいちばん早いと実感しています。デジタルコンテンツだけではあまり語れない。また、本を書くという手もありますね。さらに講演するなり、展覧会を開催して、その時にいらした方と直接お話をするとか、そういう活動によって広げていくのが早い。
Web上にデジタルアーカイブを置いて終わり、だとやはり伝わらないんだろうと思います。大抵の方は、初見で「ヒロシマ原爆は恐ろしいできごとだ」「震災は大変だった」と、それ以上は踏み込んで来ない。そこからは顔を合わせたコミュニケーションが求められます。
いつまでも参照し続けられるアーカイブ
山本:
私はずっとWebの世界で、広告だったりサービスだったりを作って来ていますが、多く生まれて多く死んでいくということをずっと繰り返していて、自分たちのやっていることを後世に残すとか伝えるということを意識している人はほとんどいないように思います。そういう今のWebというものについてはどう思われますか?
渡邉:
今回、はじめて「紙の」本を書いてみて驚いたことですが、感想を「手紙」でくださる方が少なからずいるんです。例えば、Webコンテンツを見てその感想を手紙で書く人は、なかなかいなそうですよね。
先日も、近所にずっとお住まいだった80代の研究者の方がいらして、ついこの前までは浅いお付き合いだったんですが、お引越しされることになり、うちの息子向けの教材と併せて、ご著書をいただいたんです。で、お返しにぼくの本を差し上げたら、奥様がものすごく気に入ってくださって、長崎の親類に一冊買って送りました、と。この拡がりかたには驚きました。ぼくはWebが大好きですが、紙の本を出版したことで、手ずから贈りものをするとか、顔を合わせて会話するということの力を、改めて実感しています。
Webは便利ですが、結局のところ、画面の向こうには必ず人がいます。人と人を直結するコミュニケーションや、本のような実物によってつながる力はとても強いな、と。このことに自覚的であらねばと思います。Webは至便なコミュニケーションの場ですが、Webだけで終わるはずはないので。
山本:
「終わってはいけない」というよりも、「終わるはずがない」、ということなんですね。
渡邉:
はい、その通りです。今回、本を書いて本当にびっくりしました。こういうことが起きるんだなと。さっきのご近所さんの話も、そもそも隣人で、メールアドレスもあるわけだから、普段からコミュニケーションを取っていても良さそうなものです。でも、これまでは「ご近所の研究者さん」といった認識で、踏み込めなかった。それが、たった一冊の本をやり取りするだけで、急に深い間柄になる。メールアドレスの交換は事後的にやってくる。
また最近は、一年も経てばもう過去のメールは見ないんじゃないでしょうか。昔は、誰もがメーラーソフトを使っていて、マシンを変えたらメールボックスを引っ越したりしていた。たぶん最近は、誰もそんなことはしないですね。Facebookでのやり取りも、ただ流れていくだけ。そもそもFacebookで重要なやり取りはしない。一方、いただいた本の感想のお手紙は捨てられず、ファイルに入れて置いてあります。図書館に収められたぼくの本も、おそらく何十年も残るでしょう。電子書籍版も売られてはいますが、30年後に電子書籍リーダーは存在しているのか、微妙なところです。
山本:
デジタルジレンマの話ですね。
渡邉:
はい。デジタルアーカイブにすることイコール保存することだった時代がありました。今もそうかも知れない。ぼくはこのことに対しては懐疑的です。むしろデジタルアーカイブの役割は、アーカイブされたできごとを、人々にわかりやすく伝えることなんじゃないかと。いつ読めなくなるかわからないデジタライズされたデータより、元の資料の方がよっぽど永続性がありそうです。ちゃんと管理さえすれば。
山本:
確かに、デジタルデータよりも石や紙の方が耐久性は高いですよね。
渡邉:
おそらく、Webによってコミュニケーションを取ること自体は楽になったし、世界のどこかにいる、思わぬ人々と繋がるという驚きもある。一方で、実物だったり対面だったり、実空間におけるコミュニケーションの重要さも感じるようになりました。
ぼくは建築出身ですから、時間が経って回帰してきた感じです。つまり、仮想世界の建築に憧れて、ひたすら突き進んできたものが、最近になって実空間の重要さに気付き始めているというか。
山本:
実空間を利用した作品をつくることも考えているのでしょうか?
渡邉:
そうですね。今のところは実空間に情報提示するARアプリなどを作っていますが、先日、石井裕先生とお話していたのは、例えば広島を訪れた際に、戦前の街の音が聞こえてくるような仕掛けができないかと。広島平和記念公園の場所はかつて繁華街だったので、居酒屋の音が聞こえて来るとか匂いがするとか。そういった伝え方で、焼け野原になる前の広島の気配を伝えられたら素敵かなと思っています。実空間と情報技術でできること、ですね。
山本:
情報は「古い・新しい」でそれ自体の価値は変わらないはずですが、古いものを思い返すきっかけが減って来ているように感じます。
渡邉:
古いものを大事にしなくなって来ているように思います。さいきん嬉しく思っているのは、アーカイブズ・シリーズは、長期に渡って参照され続けているようなんです。5年ほど続けてきていますが、どの作品についても「こんなのあったんだ」と言及する人がいまだにいます。おそらくですが、誰が見ても「新しい」のかも知れない。基本的に同じことを続けてきているから、逆に古くならないのかも。人の声を集めてデジタル地球儀にマッピングする、それ以外のことをしていない。一時期、試みたことはありますが、ソーシャルメディアとの連携もやらなくなりました。「東日本大震災アーカイブ」は、先ほど話したように、ジオタグ付きツイートをマッピングしていますが、あくまで現代における「証言」としてですね。
山本:
今話していても本を読んでいても、責任感や義務感のようなものが、緊緊と伝わってくるのですが、これは渡邉さんが元々持っていたものなのでしょうか?
渡邉:
「巻き込まれて」いった感じです。ぼくから動いたとはいえないけれど、取り組んでいるうちに、どれだけの人に期待されているのかを実感するようになるので、逆に裏切れなくなります。
ナガサキ・アーカイブやヒロシマ・アーカイブは、まず、原爆を追い続けてきたテレビや新聞記者の方がすごく喜んでくれて、記事になりました。そのうちに、地元の方々や、被爆者の方々が賛同してくれて、徐々に広がっていった。過去の仕事をみた人から依頼があって、次の仕事がはじまる。ぼく自身が売り込んだわけではありません。人々が支持してくれているということは、やらなければいけないことなんだな、と。このあたり、建築家っぽいなと自分で思うところです。
渡邉:
建築家の建てた住宅って本に載りますよね、「○○邸」とか。それを見たひとから「雑誌を見ました。ぜひ、設計を依頼したいんですが」と依頼が来るわけです。ぼくがやっているのも、おそらくそういう仕事です。
これは、(越谷デジタルマップを見せながら[2014年3月25日公開。取材実施時にはまだ未公開で、プロトタイプを見せていただいた。])越谷デジタルマップといって、うちの女子学生チームが中心に作っているんですが、これまでのアーカイブズ・シリーズと作り方は一緒です。越谷の観光情報や、商店主の人たちの情報を集めたものです。ヒロシマ・アーカイブを見た越谷の方からオファーがあり、作り始めました。越谷は決してわかりやすい観光地ではありませんが、素敵な人がたくさんいる。人こそが観光資産だ、というコンセプトです。
山本:
越谷は(東京から)遠いわけではないのですが、特に知るきっかけがないこともあって、あまりよく知らないかもしれません。
渡邉:
そうなんです。でもいろんな人がいて、いろんなことを考えているっていう財産があります。我々にしても、いま生きているこの街のことや、過去に何があったのかについて、みんな実はあまり知らないんですよ。
デザインが持つ力と、アーキテクチャが持つ危険性
山本:
このように未来に繋がるデジタルアーカイブを作る上では、作る側の意識が非常に重要かと思います。大学の学生に何か意識させていることはありますか?
渡邉:
「妥協しない」ように指導しています。先ほどの越谷デジタルマップも、普通は、ある程度データがマッピングされた段階で満足してしまいます。なんとなく仕上がっているようにみえるので。でも、例えば「ここが何ピクセル足りない」とか、「角度が5度くらい違うんじゃないか」とか。細かいところまで突き詰めさせるようにしています。
(メモ帳に「何を目的に、何を制作して、どう検証して、何が言えるか」と書きながら、)
この四文は、ぼくの博士論文主査の先生に教わったもので、研究論文を書くときに必須となるものです。このうち、デザイン系の学生が軽視しがちなのが、「何を目的に」「どう検証して」です。こんなの作りました以上、で終わる人が多いんです。でもそうじゃない、と。何でそれを作ったのか、作ったものが本当に目的を達成できているのか、をきちんと考えなさいという指示を出しています。で、この4つ(「何を目的に、何を制作して、どう検証して、何が言えるか」)は必ずしも時系列に沿って綴られるというわけではなく、同時進行です。正直なところ、作ったものによって目的が変わることもある。作ったものを眺めてみると、実はこういうものだったのかもしれない、と。研究を進めていくといろんなデータが現れてきます。そこからどう論理を組み立てられるのか。デザインは論理構築が勝負です。学生にそれを深く考えさせています。
山本:
それは、学生たちにこの仕事の重要性や責任を知ってもらいたいという意味があるのでしょうか?
渡邉:
デザインは強い力を持っています。人を動かすことができる、動かしてしまう。デザイナーは、そのことに自覚的でなくてはいけないと思います。誰かに何かを問いかけられたときに、きちんと論理的に返せるかどうかが重要です。「なんとなくつくりました」では不誠実です。
山本:
デザインの持つ可能性や危険性の理解ということですね。
渡邉:
そうです。この点も、建築と似ていると思います。実際に建造された建築物の場合、問われたことに対して必ず説明しなければなりません。この壁はどうしてこの角度で立っているのか、朝、ベッドルームが眩しいのだけれど、これは何故なの?とか。全てに理由がなくてはならない。たいていは、他人のお金で他人の土地にものを作り、公共のものになるので。Webも同じことです。
山本:
Webは自分たちの感覚だけで作ってしまう人が多く、結果、思ったように使ってもらえないというケースが多々あります。
渡邉:
たまたま「当たった」ノウハウの蓄積だけでつくるようではダメですね。
山本:
私も、デザインやアーキテクチャという言葉の持つ両義性をとても意識しています。自分たちの行っていることは、ある人にとっては幸せなことかもしれないが、ある人にとっては悲しいことかもしれない、と。
渡邉:
建築の場合、不具合があると、下手すれば人が死にますから。「すみません、失敗しました」は許されないわけです。おそらく、Webについても、そうした心持ちで取り組まなければいけないかもしれませんね。
山本:
Webは、建築のように直接的に人が死ぬことはないかもしれませんが、間接的にその可能性を持っていると思っています。
渡邉:
あり得ます。例えば2ちゃんねるなどは、もちろんいい話も広がる場ですが、人を追い込むことが容易なアーキテクチャともいえます。
山本:
Webにおいて、アーキテクチャという言葉の危険性については、意識できている人がまだまだ少ない状況です。
渡邉:
直訳して「建築」と言ってしまえばいいのかも。ウェブサイトやサービスを称して「これは欠陥建築ですよ」、と。概念的な話にするからよくわからなくなる。建築と一緒で、社会的なミッションの必要性や、つくったものについての説明責任があるはずです。
情報を通じて、人々の心をどう伝えるか
山本:
渡邉さんはデジタルや情報という文脈で作品を作っていますが、何か感じている課題はありますか?
渡邉:
Webは余剰が許されてしまう場所ともいえます。先ほど話したように、建築の場合は「説明できる無駄」以外は許されません。Webの場合は、余計な部分を何となく残せてしまう。「ヒロシマ・アーカイブ」には、可能な限りミニマルなインターフェイスデザインを施していますが、まだ詰め切れていないと思っています。そこから、自分を甘やかさずにさらに掘り込めるか。
「いらないところはない」インターフェイスにしたつもり、でも、恐らくまだまだなんです。プロのデザイナーから見ると。
世にあるたいていのWebサイトは、そうした洗練を経ていないのではないかと思います。「何となく」の部分が多い。過去の膨大な蓄積がある「デザイン」の世界からみると、ちょっとようすが違うはずです。
それと、ぼくは寿命の長いものを作りたい。これまでにつくったアーカイブズ・シリーズは長く、と言っても4,5年ですが、評価されるものになりました。
受賞歴をみると、2011年、2012年、2013年、2014年、毎年何かしら賞をもらっている。コンテンツはほぼ変わっていないんですが。
山本:
Webは技術の移り変わりも激しいので、10年残るものを作ろうという意識は弱いかもしれません。
渡邉:
例えば、建築家のダニエル・リベスキンドの代表作は、ベルリンの「ユダヤ博物館」ですが、(Google検索結果から画像を見せながら)これが平面図です。ユダヤ人の彼が、ユダヤについての博物館を、ベルリンに設計する。話題にならないわけがありません。コンペに勝った設計案の段階で大評判になり、設計案に近いかたちで実現しました。伝説的な仕事です。
ただ、その後の彼の仕事については、こういった特異な形の建築物を街の中に建てるというところばかりに焦点が当たりがちです。まだ実作のない頃に、リベスキンドが描いたドローイングが放っていた強烈なメッセージとは、ずいぶん離れたものに感じます。
山本:
メッセージがどこかへ行ってしまったんですね。
渡邉:
リベスキンドの「ユダヤ博物館」についていえば、一つ目のゴールは「設計図」だったのかも知れません。この時点ですでに、多くの人々に彼のメッセージが伝わった。先ほど、石井先生との対談で話題になった「アーカイブズの永続性を如何に保つか」という話とも重なるかもしれません。たとえ実作が存在しなかったとしても、「ユダヤ博物館」の設計案に込められたミッションは、他の誰かが受け継いでいたはずです。
山本:
「情報」というのはメッセージのように、目に見えないものだと思うんです。渡邉さんは「情報」というものについてどう考えていますか?
渡邉:
「情報」=「データ」というと、乾いた雰囲気があります。ぼくは、情報の「情」の部分が重要だと思います。「情」=「人の心」、という意味合いですね。たいていのデータの出自は人間なので。
山本:
ただデータを残すとかアーカイブを作るだけではなく、それによって人が繋がることを目指しているわけですね。
渡邉:
はい。関わった人々の心をいかに伝えるか、です。
山本:
最後に、これから渡邉さんがやりたいと思っていることや何かキーワードがあれば教えていただけますか?
渡邉:
先日の石井先生との対談でも近い質問をされました。ぼくとしては「メタアーカイブ」を作りたいと思います。「ヒロシマ・アーカイブ」、「ナガサキ・アーカイブ」、「東日本大震災アーカイブ」、などのプラットフォームは共通しているので、一つにまとめることができます。
ユーザが、個別のできごとについての資料同士の関係性を見出して、例えば線を引くことができるような、そんなコンテンツを作れるといいですね。例えば「ある被爆者の証言と、ある被災者の証言は、こう文脈付けられる」という意味を持つ線を引くことができる。このことを通して、できごとに通底する歴史の深層構造に到達しやすくなる。そんなイメージを持っています。
山本:
やはり技術の寿命を越えて何世紀と残っていくのは人の繋がりで、それを渡邉さんは情報技術でサポートし続けるということなんですね。本日は本当にありがとうございました。
渡邉 英徳氏 プロフィール
情報アーキテクト。情報デザイン、ネットワークデザイン、Webアートを研究。「ヒロシマ・アーカイブ」「東日本大震災アーカイブ」「Nagasaki Archive」「Tuvalu Visualization Project」など。「沖縄平和学習アーカイブ」では総合監修を担当。
1996年、東京理科大学理工学部建築学科卒業(卒業設計賞受賞)、1998年同大学院修士課程修了、2013年筑波大学大学院博士後期課程修了。博士(工学)。
2001年より株式会社フォトン代表取締役社長(現スーパーバイザー兼取締役)。
2008年より首都大学東京システムデザイン学部准教授。